身体というインフラ

人間の身体というのはインフラのようなもので、正常に機能しているのが当たり前、機能しなくなると生活の中に困りごとが起こります。

例えば社会インフラで、何かがぶつかって電線が切れた、水道管が割れた、誰かの操作ミスで問題が起こったというようなあからさまに原因が分かる不具合であれば、程度にもよりますが、比較的対処には困りません。何でそうなったかはっきりしているからです。

身体で言えばこれは突然転んだとか、何かにぶつけたとか色んなアクシデントによる怪我です。

一方、見えないところでの事故やちょっとしたエラーの積み重ねで起こった不具合というのはちょっと厄介です。原因の特定にも時間がかかりますし、対処した後も再発防止策を講じなければ同じ事故が起こりかねません。

身体で言えば慢性的な不調であるとか、使い過ぎの怪我、不定愁訴などがこれに当たります。

こういった身体の不調を抱えている方の治療に時間がかかるのは、実はその方の生活の中に不調につながる行動、というよりはクセをしているからということがほとんどです。

何かしらの動きの際に息を詰めている、力んでいる、どこか1ヶ所に負担をかけて動いている、そのことに気づいていないか、気づいていても無視している、なんてことが多いです。

治療のみでこれを変えていくには、治療を繰り返して不調の無い状態を身体にインプットしていくことで生活の中にある不調の原因になるクセを薄めていくことが必要です。

つまり、間隔をあまり空けずに治療し、その状態がその人にとっての当たり前になるまで繰り返す、ということですね。

多くの方は症状が無くなれば治療は止め、症状が出てきたら治療を受けるというスタイルを選択しているので、ギックリ腰だとか偏頭痛などのように症状が出てしまうと仕事から生活からあらゆる活動が止まってしまうような不調だったりすると、毎回毎回辛い思いをしたり、その都度色々な活動を停止することになるのは避けられません。

これを何とかする方法の一つとして、症状のあるなしに関わらず、定期的に身体のメンテナンスとして治療を受ける、ということがあります。不調の芽を小さいうちに摘んでおけば大きな不調には繋がらなくなるというわけです。

社会インフラであっても定期的に安全チェックやメンテナンスをして普段の当たり前を保っているので、それと同じことですね。

身体というインフラの当たり前が崩れてしまうと、当然のごとく仕事をするにも、遊ぶにも、淡々と日常生活を送るのにもとにかく大変になります。痛みを気にしながら生活したり、場合によっては寝たまま動けないなんてことにもなるので、ただただ勿体無いなと思います。

10代、20代までは身体を無理をさせてもなんとかなる場合も多いですが、30代に入ってきたあたりからそうもいかなくなります。活動したい時に活動できないというのはストレスでもあるし、それが身体のことというある程度自分でコントロールできる部分の話であるなら勿体無いとしか言いようがありません。

治療と一口に言っても、怪我などの回復を速める治療、メンテナンスとしての治療、身体の機能を高める治療、落ち着く治療、活発になる治療など、見方や考え方で色んな治療があります。

治療というのは大きく言えば「身体を整えること」ですので、上手く自分の生活の中に組み込んで活かして頂ければと思います。

思い煩わず普通に過ごせるからだづくりを。